✏️何年後か、30年後か、はたまた
100年後か。。
バーチャルな技術が進化して、
家にいながら、北極のオーロラを
リアルさながらに見る(体験する)ことができたり、
遠い国の人と、目の前で(3Dで)話すことができたり、
手や指を動かさなくても、
“考えただけで”(電気信号で送られて)機械を操作できたり、、
自分の身体のどこか改善したい場所に、自分の(皮膚だったりの)細胞のほんの一部を培養して移したりして治したり綺麗にしたり、
え〜〜と思うようなことが、
次々に開発されている。
今、脳細胞も人工的に作れるように
なったらしく、
驚きとともに、ちょっと怖さを感じる。
もう、“人工的に”にんげんを作ることは、
倫理やさまざまな規制は別にして、技術的には可能らしい。。
ひぇぇぇ。
老化しても、自分の細胞をもとに新しい皮膚を作り出せたり、
内臓も機械が代用する時代がくるかもしれない。
健康とは、“機械のメンテナンス”
という意味を成すことになるかもしれない。
最初は、年収1兆円くらいの飛び抜けたお金持ちだけがするかもしれないけれど、
少しずつ少しずつ、一般の人もするようになるかもしれない。
そんなことを思い巡らせていたら、
にんげんは、何にときめくように
なるのかな、と浮かんだ。
そうか、にんげんであることだ。と思った。
美味しそうな餃子を見るとよだれが出る、超繊細で複雑な体内の機能があること。
思いどおりにいかないと、自分にイライラしたり他人にイライラする人間。
悲しい時、ふさぎこんだり、ときには怒ったり、波がある人間。
うれしい時、自然に笑顔になったり涙が出たりする人間。
強く弱く、単純で複雑な人間。
人間であることが、
とんでもなく尊い、
という
今とはまた少し違う“尊さ”が
感じられる時代がくるかもしれない。
生命というものへの認識の変化が、
くるかもしれない。
かも、だけれど。
にきびの跡ひとつとっても、尊い個性のひとつ。
いま、感覚や感性をもって、
自分として生きていることが
すごく貴重に感じられて、
鼻がつんとした。
手をそっとさすり、
目をとじて、
生きているのだと、
しみじみしました。
How many years later,
30 years later
100 years later? .
As virtual technology evolves, you can see (experience) the Arctic aurora as if you were at home,
You can talk to people from a distant country in front of you (in 3D)
You can operate the machine (sent by an electrical signal) just by thinking without moving your hands or fingers.
Heal or clean a specific part of our body.
Amazing things are being developed one after another.
I heard that brain cells can now be created artificially.
I feel a little scared with surprise.
It seems technically possible to create humans “artificially”.
Aside from ethical issues and regulations.
Even after aging, you can create new skin based on your cells,
The time may come when machines will substitute the internal organs.
“Health ”may mean
“machine maintenance”.
At first, only the extraordinary rich people with an annual income of about 1 trillion yen may do, but little by little, the general people may also begin to do.
When I was thinking about that, I was wondering what humans would be happy with.
Yes, it ’s just human.
I thought.