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tabeiakiko 2020-05-09
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AkiBlog

人間とは少し考える葦である

パスカルはこう言った。

「人間は自然のうちで最も弱い葦の一茎にすぎない、だがそれは考える葦である」

と。

パスカルさんはそう言ったけれど、

私は、考えているつもりで、実は何かに浸っているだけのことが多かった。それがいいか悪いかではなく、考えているかどうか、というと、そうでもないような気がするのだ。

考え過ぎていたところもあったし、でもそれは論理的でなかったために、“次”に行かずぐるぐるとしていたことも何度もある。

最近は少しずつ、少しずつ、

“考える”ようになった。

論理的に。

これがとてもいい。

なんだか、雨の後の草ぼーぼーの道を、綺麗に整理して、歩きやすい道にしていく感覚だ。見晴らしが良くなる感じでもある。

そうすると、立ち止まる時間が減って道が歩きやすくなる。

論理的に考えることは、同時に、現実を一旦受け止めるという作業が必ず入る。その作業は、簡単じゃない。でも、ものすごく頼もしい底力になってくれる。

論理的に考えようとするとき、

無意識に《そうだと》信じていることの根深さにも気づく。

「そもそも、それってどうなんだろう」「ほんとにそうかな」「それはどうして?」「何がベストだろう」

問いかけをすること自体、

勇気が必要な時もある。

しずけさも必要だ。

感情の力が大きいことも感じる。

だから、何度もトライだ。

日常では考えないで済むことは多いし、他人を批判することも、逆にすぐに信用することも、両方、たやすい。

あの人が言うことだから正しいとか、信頼できるとか、逆に、うそに決まっているとか、そういうのはないなぁと本当に思う。

誰だってまちがうことはあるし、それは時間が経たないと分からないこもある。そして、考え方は変化する。(ディベートをするとおかしな間違いは減ってくるという…私も修行中だ。)

自分の視野から見える小さな見方であったり勝手なイメージだけでは、

本当には分からないことが多い。

何度も考える。

そのくりかえしだ。

1人1人がちがう意見や考えをもっているという事実を、ここ数ヶ月、改めて理解している。

感情も揺れるし、何も考えたくない時もあるけれど、

軸を自分にもってくると、余計な情報が排除されて、

リラックスして考えやすい。

人間とは、考える葦。

私は少しずつ人間になろうとしている。笑

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