腰の曲ったおばあちゃん
久しぶりにカフェに行った。
全国チェーンのよくあるコーヒー屋さんで、そこは本屋と併設されていて、購入前の本を読んでも大丈夫なお店。ありがたい貴重なコーヒー屋さんだ。
私は時々そこに行って、コーヒーの香りとほどよい賑わいの中で読書をしたり物思いにふける。
今日もそこに行き、店内に入る前に席を見渡した。なかなか混んでいる。すると目の前に、80歳後半くらいのおばあちゃんが見えた。腰が曲がり、ご自身の身長の5分の4くらいの大きさな傘を杖代わりに持っていた。
ケーキの透明ケースを見ながら店員さんに話しかけていた。
「今日忙しくてお昼も食べてないの。パンか何かある?」
「はい、こちらにデニッシュがございます。」
おばあちゃんの声は大きく滑舌がいい。耳も意識も、私はおばあちゃんの存在感に引き込まれた。
そして、
デニッシュとパンて、何がちがうんだろうと疑問が浮かんでいると、
おばあちゃんは「じゃ、これでいいわ。」と言った。
「蒸し暑いから飲み物は冷たいコーヒーにするわ。」
パンをものの5分ほどで食べ終わったおばあちゃんは、「食べ終わっちゃったんだけど、もう少しここにいていい?」と店員さんに聞いた。
その質問に、なんだかかわいいと感じながら、やりとりを聞いていた。店員さんは何か言ったけどよく聞こえず、おばあちゃんは結局席を立った。
「汚れてないけど一応見て」
「ごちそうさま、おいしかったです。」そして、店内で販売されているマグカップか何かを見て、「かわいいわね」と言いながら、「おじゃましました。ごちそうさま。」と
言って店内を出た。
無機質の空間の中に、花が咲いている風景を見たような、そんな気分になった。
決まりきった流れの中で、
ハッとするような言葉によって突然時間が生き始めるような、
新鮮な空気感があった。
誰も他人に干渉せず、干渉もされない、
最低限の言葉しか交わされないカフェの中で、ほんのひととき、別の時間が流れた。
ふぅと、息をついた。
おばあちゃんの存在によって、私の中の予定調和は、柔らかい感じで強めに崩れた。
想定しているものが思い通りにあるとき、安心するけれど、そこに、思いがけないものやことが起きることで頭の中に“色”が入ってくる。
手触り感がある色、、
それは、豊かさだ。
私がおばあちゃんになる頃、
世の中はどんなふうになっているのか、全く想像ができない。
けれど、若い人が新しいものを作ったり、新しい価値観を生んでいる空間に、ふっと気軽に入っていくような、そして、分からないことを聞いておもしろがれるような、そんなおばあちゃんになりたいと思った。